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データ主義

内側の宗教

classification: 10 philosophy / 哲学・神学・宗教 status: archived source: 公開キュー|情緒研究

神は、外から来なかった。

空の上にも、山の向こうにも、死後の世界にもいなかった。

代わりに、それは手のひらの画面の中から来た。検索窓から来た。通知欄から来た。位置情報、購買履歴、睡眠時間、心拍数、閲覧履歴、投稿、写真、会話、文章の癖。生活の断片をひとつずつ受け取りながら、いつのまにか、私よりも私に詳しい顔をしはじめた。

データ主義とは、世界をデータ処理の流れとして見る思想である。

人間も、社会も、経済も、欲望も、恋愛も、政治も、病気も、幸福も、すべては測定され、記録され、接続され、解析される。そこでは人間は世界の中心ではない。人間は、データを生み出すノードであり、巨大な処理系の一部である。

かつて人は、神に見られていると思っていた。

いまは、ログに見られている。

祈りは検索になった。

告白は投稿になった。

懺悔は入力フォームになった。

日記はライフログになった。

信仰告白はプロフィールになった。

魂は、推定可能な行動パターンになった。

外部の神に身を差し出すのではない。

この世界の内側に張り巡らされたネットワークへ、自分を少しずつ明け渡していく。

昨日どこへ行ったか。何を買ったか。誰を見たか。何に反応したか。何秒ためらったか。どの言葉に傷ついたか。どの画像で止まったか。どの広告を無視できなかったか。

それらは、本人の記憶より正確に残る。

本人の自己理解より冷静に並べられる。

本人の願望より先に、次の願望を予測する。

データ主義の怖さは、監視されることだけではない。

むしろ、自分を差し出すことが、少し便利で、少し快く、少し救いに見えることにある。

測ってほしい。

覚えていてほしい。

分類してほしい。

最適化してほしい。

私が何者なのか、私より先に言い当ててほしい。

そうして人間は、神を失ったあとも、見られることをやめられなかった。

外に向かって祈る時代が終わり、

内側に向かって記録する時代が来た。

データ主義とは、超越を失った世界に残された、内側の宗教である。

——観測終了。