joucho archive / philosophy / 10.02

cat philosophy/simulation-kasetsu-sotogawa-no-shingaku.txt

シミュレーション仮説

外側の神学

classification: 10 philosophy / 哲学・神学・宗教 status: archived source: 公開キュー|情緒研究

この世界の外側に、誰かがいるかもしれない。

それは神ではないかもしれない。

白い髭の創造主でも、天使でも、審判者でもないかもしれない。

ただ、どこか別の層で、この宇宙を実行している存在。あるいは存在たち。あるいは、もう存在と呼ぶ必要もない、上位の計算環境。

シミュレーション仮説とは、私たちが現実だと思っているこの世界が、高度なコンピュータ上で実行された仮想世界かもしれない、という考えである。

空も、身体も、記憶も、痛みも、歴史も、物理法則も、すべてが基底現実そのものではなく、どこか外側のシステムによって生成されている可能性を問う。

この発想は、新しいようで古い。

夢ではないとなぜ言えるのか。

悪しき霊にだまされていないとなぜ言えるのか。

蝶が人間の夢を見ているのではないとなぜ言えるのか。

人間はずっと、目の前の世界が本当に世界なのかを疑ってきた。

ただ、現代の疑いは、神話ではなく計算機の姿をしている。

奇跡はバグかもしれない。

運命はコードかもしれない。

物理法則は仕様かもしれない。

宇宙の始まりは起動かもしれない。

死はプロセス終了かもしれない。

祈りは届かないが、ログは読まれているかもしれない。

ここで神学は、天上からサーバ側へ移る。

創造は実行になり、摂理はアルゴリズムになり、審判は停止になり、救済は外部アクセスになる。

この仮説の不気味さは、世界が偽物かもしれないということだけではない。

むしろ、偽物であっても痛みは痛く、愛は愛で、死は死に見えることにある。

もしこの世界がシミュレーションだとしても、腹は減る。

人は老いる。

病気になる。

誰かを失えば悲しい。

恥は残る。

取り返しのつかない言葉は、やはり取り返しがつかない。

それでも、外側を想像してしまう。

この壁の向こうに、別の現実があるのではないか。

この空の裏に、実行している何かがあるのではないか。

私は本当にここにいるのか。

それとも、ここにいるように計算されているだけなのか。

シミュレーション仮説とは、現代の技術が作り出した宇宙論であると同時に、古い神学の変形でもある。

神を信じているわけではない。

けれど、世界の外側を想像することをやめられない。

それは、外側の神学である。

——観測終了。