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宗教・グノーシス
物質世界は牢獄である
ここでは、身体だけが問題なのではない。
世界そのものが重い。
石がある。
肉がある。
金がいる。
腹が減る。
人は争う。
病気になる。
老いる。
死体になる。
土に戻る。
この世界は、あまりにも物質でできている。
本当の私は、ここにいるべきではなかったのではないか。
この肉体、この欲望、この時間、この死は、何かの間違いなのではないか。
もっと高い場所から落ちてきて、濁った世界に閉じ込められているだけなのではないか。
宗教的・グノーシス的な想像力の中で、脱身体の欲望は、身体からの脱出を超えて、世界からの脱出へ向かう。
身体は牢獄である。
しかし身体を包むこの世界もまた、牢獄である。
空は広いのに、どこにも出られない。
祈りは上へ向かうのに、足は地面に縛られている。
魂は軽いものとして想像されるのに、肉体は腐敗へ向かっていく。
この感覚の中では、救済とは改善ではない。
この世界を少し住みやすくすることではない。
もっと根本的に、ここではない場所へ帰ることである。
だから、物質世界は疑われる。
この世界を作ったものは、本当に善なのか。
この肉体を与えたものは、本当に救い主なのか。
なぜ、魂はこんなに重い場所に置かれているのか。
問いは神へ向かう。
しかし同時に、世界そのものへの不信にもなる。
脱身体の思想はここで、宇宙論になる。
身体から出たい。
世界から出たい。
時間から出たい。
腐敗から出たい。
ここにあるのは、生活の苦しさではなく、存在形式そのものへの違和感である。
私は、この世界に属していないのではないか。
その感覚が、宗教になる。
神話になる。
救済の図式になる。
そして、身体を持つことは、世界に捕らえられていることとして感じられる。
——観測終了。